「生きる」という事。「活きる」という事。

「生きる」という事。「活きる」という事。

投稿者:代表 高橋

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エンターテイメントは平時にのみ必要なものなのか

新型コロナウィルスが世の中に蔓延し、様々なイベントなどが中止され始めた頃から、しばしばこんな意見を耳にする事が多くなりました。

「エンターテイメントは生きていく上ではなくても良いもの。」

「エンタメは私生活になくても問題のないもの。」

少し寂しくも感じますが、現在の状況を考えると、この様な意見や考えが出るのは自然な事だとも思います。何かを楽しむ為には健康だったり、ある程度の安全などが担保されていないと楽しめない、という意見については当然だと思いますし、私自身も同じです。様々な事に対して気をつかったり、配慮をしなければならない状況下での旅行だったり、その他の娯楽が楽しめるかといったら、やはりそうはならないのが普通です。

そういった意味で、エンターテイメントは平時にこそあるものであり、生きていく上でなくても問題のないものだというのも理解ができます。

しかし、人が活きる為にと考えた時は、どうでしょうか。エンタメは人の人生に必要のないものでしょうか。

人は何か楽しみにしているものや、大きな目標があると「活き」ます。その楽しみにしているものだったり、目標としている事に向かって活き活きとするのです。

私の知人ですが、既に80歳を超える高齢で持病があった事より、医師からは残された時間はあと半年程と言われていた方がいました。

しかし、野球(巨人)とお酒が大好きだったその方は、「もう一度巨人が優勝するのは見届けるまでは死ねん!」と毎日の様に家族の方に話をし、その後も非常に精力的に活動をされていました。そして、ついには残り半年と言われた余命宣告を見事に大きく覆し、3年近くも巨人の優勝楽しみに待ち、祝杯をあげるまでは!と活き続け、その後無事優勝を見届け、大往生を遂げたのです。

この世の中では何かに力をもらい活きるという事が、文字通りの人が生きるという事に繋がっているという様な事が実は多く起こっているのではないかと、コロナをきっかけに世の中のあらゆる娯楽というものが制限されてからというもの、改めて感じる事が多くなりました。

もちろん人が「活きる」理由となるものはエンターテイメントだけでなく、様々だと思います。家族や大切な人がいるだけで自分が活きる、ファンや観てくれている人がいるから活きる、美味しい食べ物があるから活きる、など人の数だけその理由もあるのだと思います。

あるいは自分でも気づかないうちに、人は何かから活力をもらっていて、その「何か」の一つとして、エンタメというものがあり、それは人が「活きて(生きて)」いく為に大きな関わりをもっている事なのだと、改めて考えさせられました。

確かに、現在コロナ禍により音楽ライブ、観劇、レジャー、各イベントなど以前の様に娯楽を楽しめなくなった今でも、私達は生きてはいけます。そういった意味では、確かにエンターテイメントがなくても、ただ生きるという事であれば問題なく可能なのだと思います。

しかし、人が本当に「活きて」いく為には、やはりエンターテイメントというものは、大きく欠かせないものの一つとなっているのではないかと思うのです。

娯楽がないのなら、つくればいい

もし仮に今後、娯楽というものがなくても、何だかんだ人は生きてはいけるのでしょう。

それは何となく想像がつきます。

しかし、様々な娯楽を既に知っている私達が、その娯楽の大部分をこの先も長い時間奪われ続けた時、人は活きていく事ができるのか。

それについては少しだけ心配になる事もありますが、きっと大丈夫だと信じていますし、娯楽がないのなら自分達でつくれば良い!と毎日自分に言い聞かせています。(笑)

これから先、世の中や人の考え方がどの様に変化をしていくのかは想像ができない部分もありますが、どの様なかたちであれ、また人々が何かに熱狂し、騒ぎ、歌い、楽しみ、様々な事から活力をもらい、それを力に変え活きていく。

そんな世界にまた早くなってほしいと思うと同時に、微力ながら我々もその一翼を担えたら、と考えながら日々を過ごしております。

投稿者:代表 高橋

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